長いご無沙汰 まず母の入院から

長い事サボっていてすみません。きっかけは母の骨折入院。あれは3月30日昼過ぎ。母が呼ぶ声、「転んで足が痛いので湿布を」とこの時は歩くと痛いのでいざってでしたが動けました。その後お客様でバタバタし6時頃食事に出て来られるか聞きに行くと布団を敷いて寝てました。とりあえずトイレにというので、私は火にかけていたものを見に台所へ。すぐに戻ると母はトイレから出たところで
座り込み「立てない」と。「えっ?今トイレに行ったんじゃないの?」「そうだけど出てきたら立てなくなった」と。この時はまだ骨折とは思わず、「布団のとこまで何とか動いて」「いや動けない」
どうしたら良いか分からずお世話になっている介護施設に電話してアドバイスを求めると「骨折していることも考えられるから病院へ」110番へ電話して事情を説明すると「高齢者の場合骨折している可能性が高いのですぐ救急車を回します」救急車は5分ほどのところからなのですぐに来てくれ(家の近くではサイレンを鳴らさないので近所に迷惑をかけずにすみます)同乗して病院へ。明治、、、病院をお願いするも救急を受け付けてないとのことで園部の病院へ。園部まで40分、私にとって初救急車、カーブの多い道。救急車はなんと乗り心地の悪いものか、ガタガタとゆれ,進行方向に直角に座っているのでカーブになると必死で足を踏ん張ってないと椅子から落ちそう。それにこの揺れ、重病患者も多いだろうにこれでは病状が悪化するのでは。救急隊員の方にそういうとそうですねというけどそれに慣れきっているからかどうにかしなくてはという気はなさそう。母は意識はあるので「病院はまだ?遠いね」ようやく到着。すぐに検査。「大腿骨骨折、今日は土曜日なので月曜日に院長が診察後決定となりますが人工骨頭をいれる手術になると思います」病室へ移動、幸い動かさないと痛みがないので大した苦痛は無いよう。一安心で私は帰宅。(吉岡に車で迎えに来てもらって。ここが田舎の不便なところ)翌日は着替え等もろもろを持って病院へ。吉岡の入院での病院通いで私の運転術も多少上達、今度は前よりスムーズに行けます。それにしても入院、準備するものが多いです。箸など個人が準備しなくてはいけないのはどう考えても変。動けない患者も多いのに個人の箸の管理は看護師さんの負担になるだけ。食器は病院のを使うのに箸はなぜ個人のもの?

月曜日に院長と面談。「大腿骨骨折、人工骨頭をいれる手術を水曜日に。手術例は多く自分もたくさんしました。術後のリハビリで元のように歩けるようにしますが、高齢なのでできない方もいます。この同意書にサインを」と言われましたがこの病院、ベッドはたくさん空いてるし、看護師なども少なそうだし、大丈夫?と不安があったので「弟と相談してから」とサインは保留。友人にこの病院のことを調べてもらうともう一つとの返事。今から転院は言い出しにくく迷いましたが、ここで手術して歩けるようにならなかったら後悔すると、意を決して転院のお願いを。もともと何かあったらここにと明治国際医療大学付属病院を決め介護認定の診察も受けていたので、かかりつけだし、家からも近いのでというとすぐに転院の手続きをしてくれました。それからはスムーズに進み、はじめの予定通り水曜日に手術決定。ここで思いがけない対面が!主治医は40代の女性、手術の説明、吉岡と二人で受けました。「先生、僕を覚えてますか」と吉岡。「えっ、、、ああ!あの時の!」そう吉岡が手の具合が悪くて整形で診察してもらっていた先生。原因がわからず脳神経科に回してくださり心臓の血栓発見の始まりを作ってくださった方でした。それからは母のことは置いといて、元気でよかったですね、、、、
無事手術も終わり、リハビリはジャニーズ系の若い男性で母もご機嫌。2カ月間、毎日2〜3時間の病院通いはちょっと大変でしたが前と同じように歩けるようになり一安心。
退院後も元気に暮らしています。