帰省

16日に母が解離性動脈溜破裂による緊急手術のため急遽帰省しました。前日夕方、気分が悪くなり救急車で運ばれたものの下がっていた血圧を上げたところすぐに元気になり、原因は翌日から検査ということだったので一過性のものかもと一安心していたのに、翌日の昼過ぎに姪から、緊急手術に入り手術中も予断を許さないという電話。すぐに帰らなきゃと思ったものの、その日の朝から冷凍庫の調子が悪く修理を依頼していて、見に来てくれたのです。コンデンサーが壊れていて古いから修理より買い替えをすすめるとのこと。どうするかはともかく、中のものを始末しなくては。アイスクリームのストッカーが2台あったのを思い出しスイッチを入れるも一台しか作動せず。やむなく必要なものから入るだけ移したけどまだまだ入れ切れません。時間が無いので残りは放置。やりかけの仕事を片付け、着替えをつめて、京都への時間をネットで調べ、14時43分の和知からの電車に乗ることにして和知まで車で送ってもらいなんとか乗車。日吉10分、園部で20分待って京都へ着いたのが18時32分。52分発ののぞみで小倉へ。2時間34分で小倉着。美山から京都までの所要時間と京都、小倉間とほぼ同じ。美山は不便を実感。途中で連絡したらまだ手術は終わっていないけど山は越えたとの知らせで一安心。病院へ着いたときは手術も終わりICUに。意識は戻っていないものの今までのところ順調、ただし高齢なので85歳)予断は許さないとのこと。弟が病院に残り私は実家へ。翌朝、面会を(ICUの面会は朝、昼、夕各30分)終えて帰った弟から意識も戻ったことを聞く。昼の面会で医師の説明を聞くと10分手術が遅かったら命は無かったかもと言われて改めてどっきり。
始めに入院したところから手術をうけた小倉記念病院が目と鼻の先で記念病院は執刀して下さった羽生先生をはじめ心臓手術では定評のあるところだったと幸運が重なったのでした。高齢のため快復には時間がかかるので一週間くらいはICUで、ということだったのに驚異の回復力で術後5日目には普通病棟へ。元気になった母は私のようなもう社会に役に立たない人に高額の医療費を使うのはもったいない、もっと若い人に使うべきだ、どうせなにかで死ぬのだからチャンスだったのにと言ってます。確かに今の国の財政を考えるとそうも言えるけど、弟いわくイチかバチかの手術といわれてもほっといたら数時間の命といわれたら手術を選ばざる得ない、と。そのとうりです。NOとは言えませんよね。これからは元の生活ができるようにリハビリです。手術、看護と皆さんががんばってくださっているのですから退院後はより良い生活をして長生きをしてもらわなくては。

急な帰省で予約のキャンセル等ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
写真は若戸大橋