堀越峠

今日小浜に行って着ました。R162京都福王子から周山街道をへて小浜に行く道です。所謂鯖街道のひとつで京都と福井の県境にある堀越トンネルはこの時期いつもすごい雪です。美山の自宅から小浜まで約

一時間、ちょっとしたドライブです。新鮮で安い海の幸が入手できます。若狭ぐじは規格サイズよりダウンのものは非常に安い。時々いくお寿司屋さんでは小ぶりの頭丸ごと一つ入った潮汁がでてきたりします。JAの購買部や何軒かのスーパー、DIYのお店、石焼パンのお店など美山ぐらしで必要不足品を補うことが出来て助かります。

おひさしぶり

皆様おひさしぶりです。今までこのブログは加藤が書いていましたが、コーヒー発送の時に添付するコメントの書き疲れで久しく更新出来ていませんでした。これからは時々僕(吉岡)が書こうと思います。我々の近況報告です。加藤は先日ころんで足を痛めましたが三月のマドリッド研修にむかって精進しています。加藤の母は認知症が進み一日中探し物したり記憶がすぐ無くなったりして正月に孫からの年賀状も誰か理解しかねる様子でしたが身体のほうは、元気で三度の食事も旺盛です。僕は心臓に3㎝位の血栓があるため(古い傷で症状が固定されているので今は何の障害も無い)定期的に病院に行き検査を受けている状態です。白内障のほうは昨年右目の手術を終え左目は三月の後半に行う予定です。マルチレンズは眼鏡がいらず非常にらくです。睡眠時無呼吸症候群のほうは器具を装着して寝ていればかなり良いですが日中の覚醒感がいまいちです。このように書きますと病気だらけという感じですが、特に日常生活にはたいした不自由もなく老化の一過程と考えたほうが自然です。食べ歩きのほうは美山での生活が落ち着いた三年前位から再開しています。日本海側は加藤と二人で行き京阪神間のお店は昔のお客さんや友人が予約してくれて誘ってくれるので楽しんでいます。グルメ仲間の皆さんいつも優しいお誘いとアドバイス有難うございます。

不思議なこと 1

我が家の敷地内に祠があります。始めはこの地区の人のものだと思っていましたが、行事で立つ幟をみると文字講と書いてあります。聞くと文字さんという名前の一族の株(講のようなもの?)


で祀った祠で妙見さんが祀ってあるそうです。一族の方が交代でまたは何人か集まって祠とその周りの清掃に来られます。その一族の方達我が家の庭に車を置いて清掃をされます。広い敷地なので車が5、6台留まってもわかりません。始めは外を見ると何台も車があるので(それも早朝、下手をすると私たちはまだ寝ているとき)驚いて用事なのかと出て行ったことが何度かありました。祠の清掃、お参りに来られているのが分かりましたが、なんの断りもないのには驚かされました。多分、その祠ずっーと以前から(我が家は築180年くらい)あるので、他所の庭に車を留めているという意識が無いのでしょう。祠の裏手の杉林へも我が家の庭を通っていくようで時々車が留まっているのを見かけます。田舎では普通のことかもしれませんが、なんの断りもなくこいうことをするのに違和感がいっぱいです。私が変?

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。またもや長いご無沙汰で申し訳ありません。今年もよろしくお願いします。
9月終わりに5年ぶりのヨーロッパ、イタリア、フィレンツェに旅しました。帰ったらブログで土産話をと言いながらその後の忙しさで果せていません。まずそれからといっていたらいつまでたってもブログ更新できないのでひとまずそれは置いておいて、と年初からいいわけです。

12月のはじめから30センチの積雪。引っ越した当初は雪が積もるとうれしくて、犬のように走り回っていたのですが、2年目、3年目と豪雪で年末からの雪が根雪となり春までというのを経験し今年はまず「ああ!雪かき」というのが頭に浮かびました。だんだん雪国の人となってきています。

12月中は1月並の寒さでしたが、その後は雪もたいして積もらずホワイトクリスマスもうっすら。年末も寒波の予報だったので今度はドカッと降って、、、と覚悟をしてましたがお正月も雪なし。からっと晴れてけっこう暖かく子供の頃からのお正月のイメージそのもの。元旦は地元の天満宮へ(徒歩3分)初詣。

元旦の7時からここで地域の人の初詣の会があるのですが、お正月からそんな早起きはできないともちろん欠席、お遅い昼食後にでかけました。誰もいない境内でお参り。

その後はひたすらダラダラ、グタグタして(これが私の基本スタイルなのに何故かバタバタと働いています)リフレッシュ。4日にはようやく雪。雪が無いと楽だけど雪の無い美山の冬、却って落ち着きません。


5日は雪は残っているもお日様が、この分なら雪かきもしなくてもよさそう。

今日から仕事始め。気持ちよくスタートできました。

長いご無沙汰 まず母の入院から

長い事サボっていてすみません。きっかけは母の骨折入院。あれは3月30日昼過ぎ。母が呼ぶ声、「転んで足が痛いので湿布を」とこの時は歩くと痛いのでいざってでしたが動けました。その後お客様でバタバタし6時頃食事に出て来られるか聞きに行くと布団を敷いて寝てました。とりあえずトイレにというので、私は火にかけていたものを見に台所へ。すぐに戻ると母はトイレから出たところで
座り込み「立てない」と。「えっ?今トイレに行ったんじゃないの?」「そうだけど出てきたら立てなくなった」と。この時はまだ骨折とは思わず、「布団のとこまで何とか動いて」「いや動けない」
どうしたら良いか分からずお世話になっている介護施設に電話してアドバイスを求めると「骨折していることも考えられるから病院へ」110番へ電話して事情を説明すると「高齢者の場合骨折している可能性が高いのですぐ救急車を回します」救急車は5分ほどのところからなのですぐに来てくれ(家の近くではサイレンを鳴らさないので近所に迷惑をかけずにすみます)同乗して病院へ。明治、、、病院をお願いするも救急を受け付けてないとのことで園部の病院へ。園部まで40分、私にとって初救急車、カーブの多い道。救急車はなんと乗り心地の悪いものか、ガタガタとゆれ,進行方向に直角に座っているのでカーブになると必死で足を踏ん張ってないと椅子から落ちそう。それにこの揺れ、重病患者も多いだろうにこれでは病状が悪化するのでは。救急隊員の方にそういうとそうですねというけどそれに慣れきっているからかどうにかしなくてはという気はなさそう。母は意識はあるので「病院はまだ?遠いね」ようやく到着。すぐに検査。「大腿骨骨折、今日は土曜日なので月曜日に院長が診察後決定となりますが人工骨頭をいれる手術になると思います」病室へ移動、幸い動かさないと痛みがないので大した苦痛は無いよう。一安心で私は帰宅。(吉岡に車で迎えに来てもらって。ここが田舎の不便なところ)翌日は着替え等もろもろを持って病院へ。吉岡の入院での病院通いで私の運転術も多少上達、今度は前よりスムーズに行けます。それにしても入院、準備するものが多いです。箸など個人が準備しなくてはいけないのはどう考えても変。動けない患者も多いのに個人の箸の管理は看護師さんの負担になるだけ。食器は病院のを使うのに箸はなぜ個人のもの?

月曜日に院長と面談。「大腿骨骨折、人工骨頭をいれる手術を水曜日に。手術例は多く自分もたくさんしました。術後のリハビリで元のように歩けるようにしますが、高齢なのでできない方もいます。この同意書にサインを」と言われましたがこの病院、ベッドはたくさん空いてるし、看護師なども少なそうだし、大丈夫?と不安があったので「弟と相談してから」とサインは保留。友人にこの病院のことを調べてもらうともう一つとの返事。今から転院は言い出しにくく迷いましたが、ここで手術して歩けるようにならなかったら後悔すると、意を決して転院のお願いを。もともと何かあったらここにと明治国際医療大学付属病院を決め介護認定の診察も受けていたので、かかりつけだし、家からも近いのでというとすぐに転院の手続きをしてくれました。それからはスムーズに進み、はじめの予定通り水曜日に手術決定。ここで思いがけない対面が!主治医は40代の女性、手術の説明、吉岡と二人で受けました。「先生、僕を覚えてますか」と吉岡。「えっ、、、ああ!あの時の!」そう吉岡が手の具合が悪くて整形で診察してもらっていた先生。原因がわからず脳神経科に回してくださり心臓の血栓発見の始まりを作ってくださった方でした。それからは母のことは置いといて、元気でよかったですね、、、、
無事手術も終わり、リハビリはジャニーズ系の若い男性で母もご機嫌。2カ月間、毎日2〜3時間の病院通いはちょっと大変でしたが前と同じように歩けるようになり一安心。
退院後も元気に暮らしています。

さいふぉん亭同窓会

以前一乗寺で働いていた西上をおぼえていますか。痩せてショートカットの女性です。2005年春にフランスへお菓子の修行へ行きました。日本でもフランス語を勉強していたのですが国立の製菓学校へはいるのは語学力がたりず一年間語学を学びそのご製菓学校入学。卒業後パリのモンパルナスのビストロでパティシエとして3年あまり働いていました。ここ一年以上音沙汰がなくメールも帰ってくるのでどうしているのか心配していたら、2月はじめチョコレートが送られてきました。手紙はなかったのですが発送は修学院なので帰ってきたのかなと電話しました。1月末にロスアンゼルス、東京に寄って帰国したとのことでした。3月には名古屋へ引っ越すとのことなのでそれまでに歓迎会をやることに。26日に眼医者の予約があり母もショートステイでお泊りしてもらうことになっていたので旧さいふぉん亭、今はトラットリア アズーロで会うことに。もう一人働いていた高畠も一緒に同窓会。高畠は一乗寺さいふぉん亭で最後まで頑張ってくれました。その後は失業保険をもらいながらホームヘルパーの講座を受講し資格を得、今は高野のデーサービスで働いています。西上とは2008年に一時帰国して以来、高畠とも久しぶりでした。高畠は相変わらずの頑張りで子供たちをそだてているよです。西上はフランスで労働ビザを得て働いていたので最近の日本の厳しい経済事情では仕事を見つけるのは難しいのでそのまま働き続けたらと言っていたのですがフランスでお世話になった日本人の奥さんとフランス人のご主人のご夫婦がホテルをやっていたのですが名古屋でカフェをやることになり(奥様の実家が岐阜なので)それを手伝うのだそうです。カフェはまだ具体化していないのですがそれまで名古屋で仕事をしながらもろもろのリサーチ、準備をするために名古屋へ。パリで過酷な状況で(定番のほか3種の日替わりデザートを作る)働きとげた達成感、自信に満ちた態度で驚かされました。きたえられたのだと感心する一方、今度のカフェのオーナーがまだ計画をなにも具体化していない時点で彼らに相談なく名古屋への移住を決めるなどまわりの意向より自分の思いばかりが先行する以前と変わらない性格も見えちょっと心配です。
とはいえ久しぶりの同窓会、楽しい時間を過ごしました。また機会を見つけて会いましょう。

春の兆し

大野屋さんで蕗の薹を売っているのを発見。ワーもう出てる!初物だと早速買いました。蕗をたくさん作っている人のものだそうです。そういうところは早いのかな、でも念のため我が家のも見てみよう。一番にでるのは玄関へつづくブロック塀の南側、小屋との間の細い隙間。毎年ここが一番です。アッー出てました。1.2.3、、、6個も。寒くてもちゃんと頑張っているんだね。ムスカリも咲いてます。立春過ぎても春の気配は無いと嘆いていたけどありました。もうすぐ春ですよ。でも今晩から寒波の予報です、、、、